訳者解説:前から気になっていた、 1964年から1975年までサイゴンにあった仏教系私立大学ヴァンハン大学に関する、マィン・キム氏の記事を訳しました。1966年から1970年までこの大学の知的活動の中心にいたのは、本記事にも名前があがっている、まだ20代だったファム・コン・ティエンでした。ファム・コン・ティエンは学長のティック・ミン・チャウのゴーストライターもやっていました。記事の最後に引用される学長の文章にもファム・コン・ティエンが関わっていたのではないかと私は考えています。

翻訳ここから:
忘れがたい巨匠たち、ティック・ミン・チャウ、キム・ディン、ヴー・ヴァン・マウ、トン・タット・ティエン、ビュー・リック、グエン・スアン・ライ、ゴ・チョン・アイン、ファム・コン・ティエン、トゥエ・シー、レー・マン・タット、ズオン・ティエウ・トン、レー・トン・ギエム、ヴー・カック・コアン〔Thích Minh Châu, Kim Định, Vũ Văn Mẫu, Tôn Thất Thiện, Bửu Lịch, Nguyễn Xuân Lại, Ngô Trọng Anh, Phạm Công Thiện, Tuệ Sĩ, Lê Mạnh Thát, Dương Thiệu Tống, Lê Tôn Nghiêm, Ngô Trọng Anh, Vũ Khắc Khoan〕……彼らは、「唯慧是業」(暫定的な意味:智慧の発展をもって根本とする)の基礎の上に、重いレンガを一つずつ軽やかに置いていき、仏教学の偉大な思想の城の建設に貢献した人たちだ。残念ながら、その未完成の城は、1975年の後、壊されてしまった。
1960年代と1970年代前半は、南部で哲学と仏教学の本が爆発的に現れた。『南部文学総観』の中で、ヴォー・フィエン氏はこう述べている。「雑誌『母なる故郷の香りを保って』(1965年7月から出版)、雑誌『万行』(1970年から出版)、ヴァンハン大学、ラーボイ出版社(1964年10月誕生)、これほど多くの文化拠点が文学者、芸術家、知識人を集め、仏教文化の影響を発揮させた。その影響は広く、強力なものだった……多くの出版社が競いあい、仏教、禅、鈴木大拙やクリシュナムルティの本や『バガヴァッドギーター』の翻訳書を印刷出版した……禅の香りが広く広がり詩歌に深く浸透していた」……
1975年以前の南部での仏教学の輝かしい発展の最も明確な証拠は、ヴァンハン大学の誕生である。1964年設立されたヴァンハン大学は、ベトナムで最初の仏教大学であった。700人だった初年度から始まり、1975年にはヴァンハン大学には14000人近くの学生がいた。ヴァンハン大学の貢献は、仏教学に留まらない。この大学には、他に、文学部、人文学部、社会、教育、言語学部……があった。成立からたった数年で、ヴァンハン大は一気に有名になり、東南アジア大学協会と東南アジア社会科学協会の会員になった。ヴァンハン大は、南部の開放的学術〔訳者注:リベラルアーツ?〕の最も博識で最も深遠な部類の知識の精華のほとんすべてが集まっていた。その中に、ファム・コン・ティエン氏がいて、彼はティック・ミン・チャウ学長から、1966年から 1968年までのヴァンハン大学のすべての学部のすべての教育プログラムの編纂任務を任されていた。ファム・コン・ティエン氏は1941年生まれである。『菩提達摩に関する小論』を書き、1964年にヴァンハン大の仕事に就いたとき、ファム・コン・ティエン氏はまだ 23歳で、どこの大学も卒業してはいなかった。
ヴァンハン大は、ただ教えるだけでなかった。そこは、雑誌『思想』の生まれた場所だった。「雑誌」と呼んではいるが、この印刷物は、あらゆる意味で重い研究論集だった。500ページ近い巻もある! 「智慧是業」を指針として、ヴァンハン大学と雑誌『思想』は、国の学問に開放の松明の火を灯した。1969年8月号は、「社会学と政治学特別号」だ。1973年6月号は、「今日と明日のための教育」だ(執筆者は、Thích Nguyên Hồng, Vũ Đức Bằng, Nguyễn Văn Trường, Đoàn Viết Hoạt, Phan Hồng Lạc, Lê Kim Ngân)……
ヴァンハン大の、そして仏教学の松明の火は、1975年以降、消えてしまった。トゥエ・シー、レー・マン・タット、尼僧チー・ハイは投獄された。ヴァンハン大は抹消されてしまった。仏教学は「思想の深淵」に落ちるのではなく、堕落の穴に深く落ちてしまった。強調しておきたい。成立後たった3年で、ヴァンハン大学長ティック・ミン・チャウは、こう自負して語っていたのだ。「ヴァンハン大学は、まだ3歳〔訳者注:原文は 「5歳」だがティック・ミン・チャウ『人間の奴隷化の前に』1969年の記述に従い改めた〕であるが、語るにふさわしいいくつかの進歩を記してきた。……まだ小規模ではあるが、ヴァンハン大学は規範的な大学の活動領域をすべて取り入れるべく努めている。大学図書館は、校舎の 3、4階のほとんどを占めている。これは、ベトナムで最も大きく最新の図書館のうちの一つである。……参考室には、サンスクリット、パーリ、英語、フランス語、ドイツ語、日本語、中国語等々といった多くの言語の百科事典と辞書を多く揃えていることに誇りを持っている。仏教の重要な三蔵経のすべてがここにある。サンスクリット、パーリ、中国、日本、ビルマ、タイ(図書館は韓国の三蔵経も新たに加える申請をした)。本は二種の部にしたがって分類される。仏教部と世学部である。図書館のすべての本は現在、約20000冊である……」(ヴァンハン編集委員会の保存資料による)。
それにもかかわらず、 2018年 12月 16日の個人ページの文章の中で、研究者グエン・ルオン・ハイ・コイ(在日本哲学研究者)はこう述べている。「ヴァンハン大学の図書館には、歴史上の各文明の、数万ものマイクロフィルムと古書の原書があった。フィルムは、上質のプラスチックのとても厚い箱に保管されていた。 1975年以後、わが戦士たちは、知識の無産化の主張を実現し、大学内で積極的に増大させ、すべてのフィルムを整理して、一部のプラスチックの箱に入れ、残りの箱には水を注いで……魚を飼った。魚を飼っている箱は、図書館のフィルムを入れた箱の横に置かれているため、あと数カ月後には、すべてのフィルムはカビが生えて、廃棄せざるをえなくなるだろう」……
「10年以上前、ヴァンハン大学を引き継いだ大学〔訳注:ホーチミン市師範大学のことか〕で働き始めた私(グエン・ルオン・ハイ・コイ)は、1975年以前の外国図書の倉庫に入って閲覧する許可をもらった……英語と日本語の二つの書籍のところには、哲学、文化、文学、歴史の領域に属する本が置いてあり、ヴァンハン大は、同時代の熱い思想潮流を更新していた……北部は、人類文明の古文献あるいは、半世紀前世界で最も熱かった諸著作から南部を解放しただけでなく、わが北部は、自由の観念の上に建てられた大学から自分たちを解放したのだ。ヴァンハン大学の図書館に残っている書籍の中には、招待されて講演し、大学の講師や大学生と議論した講演者たちの発表原稿を大学が印刷出版した、特別な種類の本がある。それらの本を読むと、ヴァンハン大学が、民間社会の巨大な演壇のようなものであったのと同時に、反共から反米まで、親北ベトナムから親ベトナム共和国まで、すべての思想傾向が自分の声を上げられた場所であったことが分かるだろう。すべてにとって、どうして自分がそのように考え行動するかを説明するための平等な空間があった。そのとき、私はこう自問した。当時のサイゴンに、共産主義に反対する声があったのは当然のことだが、でもどうして、ベトナム共和国の制度は、ヴァンハン大学(そして、当然ヴァンハン大だけでなく)を、自分に反対する者たちが思想を発表できる場所にさせておいたのだろうか、と。答えは、 1967年の彼らの憲法にあった。大学は自治組織である、と。」……
雑誌『思想』第5号1969年10月1日付けの最後のページには、「ヴァンハン短信」のコーナーがある。読むとこう書かれている。
「ヴァンハン大学学長、ティック・ミン・チャウ上座は、アメリカ、メキシコ、オーストリア、フランス、イギリス、ドイツの6ヶ国への訪問と国際会議への参加を終え、パンナム航空の飛行機で1969年9月18日12時40分にサイゴンに戻ってきた。メキシコでの「教育の指導」に関する会議と、オーストリアのウィーンでの「平和希求における大学の役割」に関する会議への参加の他に、上座はアメリカに寄り、アメリカ留学中の本学の学生を訪問し、ロンドンに寄って、イギリス外務省の招きによって一週間、イギリスの各大学を訪問し、ドイツとフランスに寄って、各教育基盤を訪問し、大学での招待講演を行った。
イギリスでは、アジア・アフリカ学教育研究院が、ヴァンハン大学との連携を申し出た。海外発展省は、ヴァンハン大学に、 5件の奨学金を支給することと、図書館に、イギリスでの書籍購入のための 1000ポンドの寄贈を約束した。オックスファムは、さらに、仏教学院の 2名の尼僧に、 いくつかの孤児院の設備を整えるための自足生活の基礎(パン焼きかまど、製氷機)整備のための200万から 300万の金を貸与することを約束し、菩提体系〔訳注:仏教教育か?〕のための技術中等教育機関を設立する手助けをする約束をした。ドイツでは、上座は、バイエルン地方を訪問し、ミュンヘン大学、ゲーテ学院、ルードヴィッヒ政治学センター、国家図書館、ルムフォルト大学、原子力センターを訪問した。ミュンヘン大学は、ヴァンハン大学との提携を批准した(ミュンヘン大学は、二大学間の連携を議論するため文学部長の大徳と、社会学学部長教授をミュンヘン大学に一ヶ月間招待する。)」
50年前、ベトナム仏教学はこれほどまでに発展していた。ヴァンハン大学が様々なことを行った50年後、「ベトナム仏教協会による、ベトナム社会主義共和国の国民教育体系に属する仏教の科学的教育と大学教育基盤である」今日のベトナム仏教学院が、「1983年10月17日 160号委員会決定に基づき、ホーチミン市人民委員会の決定により設立された」。「社会主義仏教学」には、「共産党の光」がさらに「照らされなければならない」。強調しよう。第II期(2017-2019)仏教学修士選抜の知らせの中で、ベトナム仏教学院は、以下の要求を明確に掲げている。受験参加資格は、仏教学学士号取得者、そして、受験科目には「仏教およびマルクス=レーニン哲学」があるのだ! 50年前、ヴァンハン大学は、国家の自由で開放的な学術〔リベラルアーツ〕に貢献しただけでなく、ベトナム仏教の威信もうち立てた。50年後、ベトナム社会主義共和国の仏教学院は、何をなしえたというのだろうか? そして、ベトナム仏教は変形されて何になってしまったのだろうか? 現在の仏教協会の「大いなる」指導者たちの中の誰に、オックスフォードやハーバードで仏教学の話をするための資格とレベルがあるだろうか?
雑誌『思想』創刊号(1967年8月)の巻頭言の中の師ティック・ミン・チャウの痛切な言葉をまだ覚えている者は誰かいるだろうか?
「私たちは、ただ礼節をもって皆にこう告げたいのだ。すなわち、言葉が重要なわけではない、沈黙が重要なわけではない。行動が重要なわけでもなく、受動的な無為が重要なわけでもないのだ、と。ただひとつ重要なこと、ただひとつ最上級に重要なことは、各々が自分自身の本当の顔をあえて見なければならないということ、巧妙なやり方で自分が自分を騙していないか自問することだ。各々は、自分が本当に思想において自由なのか自問しなければならない。各々は、自分が本当に意識と無意識の中のすべての恐れから解放されているのか自問しなければならない。各人は、自分が本当に、たとえ精神的な欲望であっても、すべての欲望を取り除いているのか自問しなければならない。」
マィン・キム
